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2012年11月 5日 (月)

108 釈迦と空海(弘法大師)

明日の寺子屋(NO.109・・・早朝に掲載)に除霊 浄霊師 神島剣二郎自筆による観世音菩薩の「梵字仏の画像」が添画されます。今までにご紹介した5梵字仏が勢ぞろいして添画予定です!

 お釈迦様はウパニシャッドの世界『アートマン・(有我説)』を否定しました。

これは一見、自己存在の否定か?とも思われます。しかし、「アートマンを否定」することは自己の否定とか、主体性の放棄では決してありません。逆に言うと、真の主体性の確立のためでした。

お釈迦様が死を前にして言い遺した言葉があります。

「比丘らよ、自らを灯明(島)とし、自らをよりどころとし、他をよりどころとせず、法を島とし、法をよりどころとせよ」と。
これは宇宙の法則と、それを感じ取る自己だけをよりどころにせよとお釈迦様が言い遺した言葉です。
ここのどこに自己否定、主体性の放棄があるでしょうか!

お釈迦様の説く「無我説」は彼の新しい哲学、「この世の中の一切の現象は『縁起』によって成り立つ」を主張するものでした。
それは、人生は「苦」であり、「苦」の根本原因は縁起(=因縁生起)で明らかにされるというのです。
さらに、因縁によって万物は生じ起きる、そこには「神々は存在しない」と説いたのです

これは、全く平等論から成り立つ理論でもあるのです。
因があり、縁が絡んで果が生じていく。
これは因・縁・果、お互いが、関係性があって存在していくことを意味するのです。全てがそれ自体単独で存在するでなく、さまざまな因が縁となって結果を作り出す関係性を表しています。
ここで大きく、ご承知しておいて戴きたいことは、まさに、お釈迦様が説きたかったのは「この世は平等」である。このことの「目覚め(=覚り)」であることです。

八正道で生きることをお釈迦様は説きました。
一番大事なのは「正見」です。
【「正」とは「正しい」の意にあらず、あらゆる方向から、遍く見るという意味だそうです】
この『正見』によって、あらゆる方向からみれば、この世界の有情・無情がお互いに相よって生じている(関係している=縁起)ことがわかるというのです。お釈迦様は縁起論によって『平等』を説きましたが、空海もまた、『『即身成仏義』で宇宙のあるべき姿は『平等』(=『即身成仏』)だと説きました。

このことは、No.103でも掲載してあります。
【末尾にNo.103 再度参照・引用しておきます】

空海とお釈迦様との間には1250年の悠久な空間時間がありますが、空海は見事に、お釈迦様を捉えたと言えるでしょう。

お釈迦様の亡き後、仏教は上座部から大乗仏教へと変遷していきました。そして密教が登場しました。やがて空海まで1250年・・その間、お釈迦様にたどり着けるものは誰一人としていなかったのです・・・。

そのお釈迦様を空海は捉まえたのです・・・。

No.103 再度参照・引用
空海の『即身成仏義』は『即身成仏』を説きます。
「六大は無碍にして常に喩伽なり」とある『即身成仏義』のこの「詩(初句)」は、宇宙のあるべき姿は「平等」であると言っています。その「平等」だ、との意味は、この宇宙に「存在するもの(有情・無情=生命ある世界・環境世界)一切が共に必要性があって存在するという意味だと私は解釈しているのです。

この寺子屋は、各諸先輩の知識をお借りしての掲載です(合掌)

 密教の徒 除霊 浄霊師 神島剣二郎  24.11.6

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剣二郎シンプルプロフィール1

  • 半生
    神島剣二郎の修行と趣味の半生が 現在の私の基礎です。 神島剣二郎は父方先祖に神官を持ち、故郷伊那谷の八幡神社にて奇跡と神秘を体験し強烈な印象に残る。 しかし神仏系の道に入るのを拒み、大学で法律を学ぶ。在学中は体育会系のクラブ活動に熱中、合気道及び八光流柔術有段。大学卒後は金融機関勤務の道へ進む。 近年になり、宗優子とともにこの道に入る。